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安田菜穂子物語1 幼少期~大学卒業まで

菜0歳

1973年、オイルショックの次の年、
私は和歌山県で生まれました。

当時、家族は大阪に住んでいたのですが、
母の実家のある和歌山で里帰り出産したのでした。

3人兄弟の末っ子で、同年代よりも年上の子や
大人と接することが多かったため、
早生まれながら、同年代を下に見るところのある子でした。
上に兄弟のいる人にありがちですよね^^;

勉強は、上の姉や兄がなにかしら教えてくれるため
自分の学年の1~2学年上の勉強を常にしている形になり、
小学校卒業くらいまでは、授業などで苦労したことは
ありませんでした。

がっ

忘れ物が多く、宿題をやっていかない生徒だったので、
そして宿題をいつもやらないのに、成績はいいもので、
先生には好ましくは思われていないようでした^^;;

ともかく順風満帆で、少し生意気な小学生だった私は、
中学校にはいり体育会系の部活をはじめて、
人生初、いじめにあうことになります。

中学校の3年間は、私にとって暗黒時代で、
学校全体でも目立つ子が多い部活だったのが災いし
学校中から無視されるような状況が続きました。

思春期の、プライドの高かった私には
とてもつらい時期ではありました…

そんな折、その頃好きだった音楽のライブに行く機会があり、
そのステージに感動したことがありました。

とても演出が凝っている、
緻密に構成されたステージで、
飛び込んでくる、まばゆいばかりの光と音の洪水!!

「あの光の中にいきたい!」

中学生の私は、そんな風に感じたのでした。

音楽にかかわる仕事がしたい。

それまでの私は、やりたいことがあっても
可能性が低いならば最初からあきらめるような
夢のない子供だったのですが…

それをきっかけに、
私は将来の「夢」を持つことができたのでした。

高校生になって、いじめの環境から抜け出した私は、
音楽の活動をするはずだったのですが
楽しい高校生活にかまけて、作曲の勉強などはせずじまい。

あっというまに大学受験を向かえることになります。

小学校の頃から、勉強をしなくてもテストの点数は取れた私は
コツコツ勉強する習慣がありませんでした。

実力テストは得意、定期テストは苦手
そんなタイプでしたので、いわゆる「内申書」は無茶苦茶。

自分の得意分野もわかっておらず、
1年目の受験は、苦手科目で受験してしまい
散々な結果に終わりました。

しかし、ひとつ上の兄が浪人を経験していたため
私も浪人させてもらえるだろう、と気楽に構えており…

なんて親の苦労が分かってない娘!

そんなこんなで、結構のんびり、浪人生活を送りました。

2年目の受験は、さすがに失敗できない、と
緊張して望んだのですが
またしても受けた大学を片っ端から落ちまくり…

もうすっかり自信もなくなっていました。

そして、早稲田大学第二文学部受験の日。
この受験の時のことはハッキリ覚えています。

一つ目の国語のテストが思わしくなく、
休み時間に屋上で休憩していたときです。

「ここがダメだったら、二浪か…」
「でも悔いのないように、この試験だけはしっかりがんばろう!」

そう誓ったものでした。

そしてその後の科目はがんばり、
実力的に及ばないだろうけど、力を出し切った!という感覚があったものです。

その後、早稲田大学からの合格通知が届くのですが、
私は、受かるわけがない、幻覚が見えているに違いない、と
私以外の人に確認して貰うまで、信じられないほどでした(笑)

「合格!!!」

その報告をしたとき、父が喜んでくれて
がっちり握手してくれたこと、今でも忘れません。

大学受験は、初めて

「欲しいと思ったものが、望んでも手に入らないかもしれない」

という経験をしました。

そして、最終的には勝ち取れた、いい経験になりました。

たとえ可能性が0.0001%だったとしても、
ゼロじゃないならやることに価値はある。
そんなことを、経験することができました。

でも、

「きっとこれは機械の故障で、本当は間違いだよね?」

というのは、私を含む家族の共通認識で、
間違いでしたと言う連絡が来る前に
入学手続きを早々に済ませた事は、いうまでもありません(笑)

そんな風にして、私は上京することになったのでした。

 
 
 
 
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