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安田菜穂子物語2 成り行きでIT系に飛び込む

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大学生になり、大阪から東京に移り住んだ私でしたが
大阪で培った社交術が通用しなかったカルチャーショックなどもありつつ(笑)
そこそこの大学生活を送っておりました。

すこしの油断から、卒業は「奇跡の卒業」になりましたが
なんとか4年で卒業することができ、新社会人へ。

私が卒業した時期は、ベビーブーム世代で卒業生が多く、
不況が始まってきていた時期だったため、就職は大変でした。

私は無謀にも大学院に進学したい、などと思っていたため
直前まで就職活動もしておらず、卒業後に就職先を探すと言うていたらく。

なんとか募集があった「プログラマ」の職に就くのでした。

文系人間だった私が、理系に飛び込んだ、最初の一歩でした。

新人研修で学んだプログラミングの自体は、さほど難しくはなかったのです。
プログラミングは文法なので、国語が得意な私は、意外と向いていたようです。

ただ、理系の基本がない私は、理系の人ならまずやらない失敗をすることがありました。
2進数の考え方ができないので、理系の勉強をした人ならありえない間違いをしてしまったのです。
周りの理系の方々と常識が違う。これは勉強が必要だ、と独学をしました。

その頃、インターネットの黎明期でしたが、ISDN回線で夜中の「テレホーダイ」の時間に
ネットにつなぎ、技術者仲間とやりとりしたり、趣味のホームページを作ったりしました。

当時は、女性と言うだけでネットの有名人になれたのに!
いまだに、当時、ちゃんとネットをメディアとしていくことに取り組まなかったことが悔やまれます。

小さな会社で、新人にはかなりしんどいプログラムの解析を一人でしていたこともありました。
正直、新人が一人でやるには荷が思い仕事でしたが、やりきったことは非常に自身になったものです。

当時、父から「お金を貰って勉強させてもらってるんだから、と思ってがんばれ」と、言われていました。
父の言うとおり、あの頃に勉強させてもらったことが、今も大きな財産になっています。

1年が過ぎ、2年たち、やっと使い物になってきたタイミングで、副業にハマり、
本業の仕事がおろそかに…なんと、肩たたきにあってしまいます。

明日から仕事がない!食べていかないといけないのに…
切羽詰った状態で、次の仕事を探しました。

なんとかインターネットで探したシステム請負会社に滑り込みまして、
再びのスタートを切れたのでした。

若気の至りと申しますか、本業をおろそかにするのはおろかなことでございます…

最初の会社で仕事の能力はかなりつけて貰っていたようで、新しい職場での評判は上々でした。
遅刻が多かった勤怠も、派遣元の会社からかなり脅され、気をつけるようになり、
やっと、社会人としてまともになってきた感じです。

この当時、一緒に仕事をしていたIBMさんのビルに打ち合わせにいった時、
会社のビルにコンビニが入っているきれいなインテリジェンスビルで、
「将来、ビルにコンビニが入ってるようなインテリジェンスビルで働きたい」と、新たな夢ができました。

そうこうしているうちに、派遣先の会社から引き抜きをしていただき、所属が変わることに。
そのタイミングで、業務系からWeb系のエンジニアに転向しました。

とある大企業のポータルサイトを立ち上げるプロジェクトに入り、
かなり人間関係のいい職場で、楽しく仕事をしていました。
当時のWeb系では経験のあるエンジニアがまだ少なく、かなり重宝していただき
正直、とっても楽させていただいていました。

職場は居心地もよく、周りにも可愛がっていただき、とても楽でしたが、
自分のちからの10%くらいしか使っていない気持ちがあり…
このままでは腕がなまってしまうのでは…という危惧を感じ始めて、
再び転職活動をはじめることになります。

 
 
 
 
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