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安田菜穂子物語3 夢がかなった黄金期

009-S2

就職活動を始めて、内定を貰った会社はいくつかありました。
その中のひとつが、ヤフー株式会社でした。

ネット回線のADSLがまだ高かった時代に価格破壊を起こした、
何かと話題だったサービスの、技術部隊として配属。

ヤフーもまだ大企業ではなく、何でも自分でやる時代で、
仕事は大変でしたが、世間的にも注目度の高いサービスの担当ができて
楽しくて刺激的な毎日を送っていました。

そして、このころに結婚。
新婚旅行はパリ2週間の「貧乏旅行」で、レンタルアパルトマンを借りて自炊。
街を歩き倒す観光で足を痛め、サロンパスのお世話に…という色気のないものでした^^;

でも、古い建物フェチ、ヨーロッパの街並みフェチの私には、
そりゃ~もう!楽しかったですよ~!!

ヤフーでは、上司も同僚もいい人ばかりで、居心地のい職場でした。
仕事が速い、と言っていただいたり、
技術系の仕事から企画系の仕事にジョブチェンジした時には、
「安田さんがエンジニア辞めるなんてもったいない」と、
技術部長に言っていただいたり。

技術者は、非技術者とのコミュニケーションが苦手な人が多いのですが、
私は元文系の強みか、コミュニケーションは得意なほうで。
企画職と技術職の橋渡しができるので、とても重宝していただいたり。

とーーっても仕事のしやすい環境で、今でも感謝しています!

そうそう、入社当時の職場は表参道でしたが、
しばらくして職場が六本木ヒルズに引っ越しました。

「コンビニの入ってるようなインテリジェントビルで仕事したい」夢が、叶ってしまいました(笑)

六本木ヒルズの徒歩圏内に引っ越してまいりまして、
高校時代に漠然と、「麻布に住んでみたい」と思っていた夢も、叶ってしまいます。

さらに、私は500人前後の頃に入社したのに、会社が急成長。一部上場企業に。

技術職から企画職へのジョブチェンジは、
Y!ミュージックチームからの内部異動の募集がきっかけでした。

Y!ミュージックで、当時Soundstationというストリーミングラジオの企画があり、
そのディレクションができる人を募集していたのでした。

私はもともと企画よりの仕事がしたかったし、
技術が分かるディレクターを募集、とのことだったので、
応募したところ、選考で合格しました。

Y!ミュージックのサービスへ移り、Soundstation立ち上げのために働き始めました。
中学生の頃からの夢、「音楽の仕事をする」が叶ったのです。

ディレクターの仕事は多岐にわたり、
サイトをどんな構成にするかや、サイトの内容を決めたり、
エンジニアやデザイナー、企画の人たちのタスク管理、スケジュール管理、
運用に必要なオペレーションを考えたり…

Soundstationは、著作権のある音楽のストリーミングサービスとしては国内初だったんです。
そのため、大変なことも多かったですが、
サービスのプロデューサと一緒に音楽レーベルへ行き、サービスの説明をして
音源を出してもらう仕事などもしていて、とても楽しい日々でした♪

やがて、Soundstationは立ち上がり、
国内初のサービスとして日経の一面に取り上げてもいただきました。
もちろん私は裏方なので紙面には載りませんが、
Soundstationは我が子のように感じていたので、とても嬉しかったのでした!

Soundstationの仕事をしている時、
これをリリースできたら、「私はこの世でこれをやった」と言える仕事が残せる、
と、ずっと思っていました。

どうしてもSoundstationは自分の手でやり遂げたい。
そんな想いを持って仕事ができて、とても充実してた日々だったのです。

あんなに仕事に掛けられたのは、やはり夢だった「音楽の仕事」だったからかもしれません。

その後、すこし体を壊してしまい、残念ながらヤフーは退社してしまいましたが、
とてもたくさんの経験をさせてもらい、職場環境もよく…
当時の上司、同僚の皆さん、本当にありがとうございました!!

この時期、私はたくさんの夢をかなえることができたのでした。

 
 
 
 
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